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歴史・観光情報

墨俣一夜城(歴史資料館)

一夜城

木下藤吉郎が一夜にして築城し、太閤出世物語の出発点となった砦城。

現在の一夜城は純金の鯱を配した天守閣形式であり、大垣市墨俣歴史資料館となっています。館内では墨俣城築城への道を展開しており、若き日の秀吉に出会えます。また、展望室からは長良川や金華山をはじめ伊吹山、養老山脈などが一望でき、四季折々の眺めは最高です。

美濃路

美濃路

賑やかな往来を誇った江戸時代の街道

慶長7年(1602年)五街道の東海道と中山道を結ぶ脇街道として整備されました。宿駅伝馬制度が敷かれてからは6つの宿駅が設けられ、墨俣宿もその一つでした。宿駅には本陣・脇本陣・問屋・渡船場が置かれ、琉球使節や朝鮮通信使の通行をはじめ多くの人馬の往来で大変にぎわいました。道の両側には大小の旅籠や商店・茶店などが肩を並べて建っており、美濃路の宿駅の中で最も弦歌の賑やかな宿駅でした。

尚、本陣の跡地には「墨俣本陣跡」の碑が建っています。また、脇本陣の門は明治末年に本正寺(寺町)に移築され、現在も山門として残されています。

鎌倉街道

鎌倉街道

鎌倉と京都を結んだ歴史古道

古くから東海道と東山道を結ぶ官道が、上宿、二ツ木を通っていました。鎌倉時代に鎌倉と京都を結ぶ街道として整備され、東西交通の重要な幹線でした。歌人として有名な西行法師の歌や阿仏尼の十六夜日記など多くの和歌や紀行文に墨俣が記されています。

また、宇治拾遺物語にある「大海人皇子を救った墨俣の女」は、上宿の村社(不破神社)にお祀りしてある不破明神の化身であるといわれています。

寺町界隈

寺町界隈

歴史の歩みを深く感じさせてくれる町

本通り(旧美濃路)から一歩入ったところには古い寺院が多く、昔の面影を残しています。その付近は寺町と呼ばれています。満福寺・光受寺・等覚寺・本正寺・広専寺は浄土真宗大谷派東本願寺を本山とし、明台寺は浄土宗西山禅林寺派永観堂が本山です。

各寺院には寺宝・文化財が多く、歴史の歩みを深く感じさせてくれます。

満福寺熊谷堂では、熊谷蓮生房の木像をはじめ太閤秀吉の書など多くの寺宝が拝観できます。また、光受寺境内にあるミニギャラリー聴風庵では、書画展や手作り雛店など心温まる作品に出会えます。特に梅や紫陽花の咲く頃に訪れたいものです。

明台寺

明台寺

西美濃三十三霊場第十九番札所の明台寺には数多くの文化財があり、多くの参拝者があります。境内には、斎藤利藤の墓や土岐悪五郎の墓のほか、「日本外史」の著者である頼山陽がこの地に投宿した祭に選書した漢文の墓碑銘をもつ澤井宗白の墓などがあります。

また、本堂には橋にまつわる伝説をもつ「橋杭笑地蔵尊」も安置されています。

津島神社

津島神社

墨俣宿ができた頃から本町に牛頭天王を祀っています。明治初期に津島神社と改称されましたが、古くから〝お天王さん〟と呼び親しまれています。毎年7月第4日曜日には天王祭があります。

寛政3年(1791年)琉球使節の通行の折、通行記念にと残した琉球国儀衛正毛延柱の刻銘入りの石灯籠があります。

源平墨俣川の合戦

源平墨俣川の合戦

養和元年(1181年)墨俣川をはさんで平重衡を総大将とする七千余騎の平氏が西岸に、新宮十郎行家、源義円ら三千余騎の源氏が東岸に陣を整え、源平一大合戦がはじまろうとしていました。義円は行家に先をこされまいと一人馬で西岸へ一番乗りをしようとしましたが平盛綱に討たれてしまいました。行家は、遅れてなるかと夜討ちをかけましたが戦いに敗れ矢矧川まで退きました。義円公園内には儀円地蔵が祀られ、里人の手により、毎年3月11日の命日に供養が行われます。

阿仏尼の歌碑

阿仏尼の歌碑

十六夜日記(1280年)を書いた阿仏尼は、健治3年(1277年)10月19日墨俣を通りました。その文中に、すのまたとかやいふ河には船をならべて、まさきの綱にやあらん、かけとどめたるうき橋あり、いとあやふけれどわたる、この川つつみのかたはいとふかくて、かたかたは浅ければ、「かたふちの 深き心は ありながら 人目づつみに さぞせかるらん」と詠んだ歌碑が満福寺にあります。また一夜城址公園内には「かりの世の ゆききとみるも はかなしや 身をうき舟の浮橋にして」の歌碑があります。

観光ガイドマップ

大垣市墨俣商工会

〒503-0103
岐阜県大垣市墨俣町上宿473-1
(地図)
【TEL】0584-62-6283
【FAX】0584-62-6346

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